ウズベキスタン共和国(ブハラ)
ブハラ |
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ここはブハラ。 |
アルク城 |
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アルク城の城門の風景。 |
アルク城 |
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城門の南、城壁の上にテラス状のスペースがあり、観光客がいた。 |
アルク城 |
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アルク城の城門の側面の風景を北側から。
写真をクリックして下さい。 |
アルク城 |
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これから城門入り口からスロープになった通路を通り、城内へ入ります。 |
アルク城の城壁 |
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城門入り口への通路から南側の城壁の風景。 |
アルク城の城壁 |
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城壁を近くで見ると、煉瓦のブロックがすき間なく積み重ねられている事が判る。
写真をクリックして下さい。 |
ジュマ・モスク |
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城門から続く回廊を抜けた先にあったのはジュマ・モスク。
写真をクリックして下さい。 |
謁見の間 |
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ここは謁見の間。 |
謁見の間 |
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筆者が訪れた当時、謁見の間は修復工事中で、外された美しい彫刻の建材の一部が置かれていた。 |
謁見の間 |
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謁見の間に置かれていたライオンの石像。
写真をクリックして下さい。 |
アルク城 |
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西側の城壁の上から見たジュマ・モスクの裏手の風景。
写真をクリックして下さい。 |
アルク城 |
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出口の城門へ向かって、薄暗い回廊を進みます。 |
アルク城 |
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お土産屋で見かけたウズベクの少女。
写真をクリックして下さい。 |
バラハウズ・モスク |
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ここはバラハウズ・モスク。 |
バラハウズ・モスク |
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アイヴァン様式の美しいバラハウズ・モスク、柱は全てで20本ある。
写真をクリックして下さい。 |
男の子 |
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近くで見かけたウズベクの男の子。 |
チャシュマ・アイユブ |
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バラハウズ・モスクから西へ500mほどにある、トンガリ帽子の形のドームが珍しいチャシュマ・アイユブ。 |
バザール |
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通りではバザールが開かれており、野菜や果物など、色々な商品が置かれていた。 |
バザール |
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こちらは絨毯・カーペットや壁飾りのタペストリーなどを置いている店。 |
バザール |
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カラフルな女性用の衣装のお店。 |
バザール |
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どの国でも、どの街でも、どこのバザールでも、バザールはとても賑やかだ。
写真をクリックして下さい。 |
イスマイール・サーマーニ廟 |
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ヨブの泉、チャシュマ・アイユブから南西へ200mほどにあるイスマイール・サーマーニ廟。 |
イスマイール・サーマーニ廟 |
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ブハラを首都としたサーマーン朝の君主、イスマイール・サーマーニ。 |
イスマイール・サーマーニ廟 |
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9世紀終わりごろから建設は始まり、約50年掛けて完成した、1000年以上も前の、とても古い建造物。 |
イスマイール・サーマーニ廟 |
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イスマイール・サーマーニ廟の名が付いているが、実際にイスマイールやイスマイールの父の霊廟かどうかは判っていない。
写真をクリックして下さい。 |
彫金 |
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イスマイール・サーマーニ廟の近くで見かけた、金属の皿の工芸。 |
老人 |
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イスマイール・サーマーニ廟で出会ったウズベクのおじいさん。
写真をクリックして下さい。 |
カラーン・モスク |
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次に訪れたのはカラーン・モスク。 |
カラーン・モスク |
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カラーン・モスクは王や皇族のためのモスクでは無い。 |
カラーン・ミナレット |
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現在の場所に初めてモスクが建てられたのは8世紀末頃で、それ以前は拝火教・ゾロアスター教の中央大聖堂が建っていた。 |
カラーン・ミナレット |
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アップで見たカラーン・ミナレットの塔頂部の風景。
写真をクリックして下さい。 |
ティム・アブドラ・カーン・トレーディング・ドーム |
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この建物はティム・アブドラ・カーン・トレーディング・ドームと呼ばれる市場。 |
ミリ・アラブ・メドレッセ |
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カラーン・ミナレットから東へ、北側にミリ・アラブ・メドレッセの青いドームが見える。 |
カラーン・モスク |
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ミリ・アラブ・メドレッセ南から、西側カラーン・モスクの風景。 |
カラーン・ミナレット |
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カラーン・ミナレットと左の建物はハナカ・アミール・アリムハン。 |
カラーン・ミナレット |
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13世紀、モンゴル帝国の襲来によりブハラの街は壊滅する。 |
カラーン・モスクとカラーン・ミナレット |
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再びカラーン・ミナレットの北側の通り、ホジャ・ヌラバード通りへ出る。
写真をクリックして下さい。 |
タキ |
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ホジャ・ヌラバード通り東の方向にある、タキと呼ばれる商店街の丸屋根アーケードの建物。 |
ホジャ・ヌラバード通り |
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ホジャ・ヌラバード通りの商店街が続く風景。 |
ホジャ・ヌラバード通り |
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商店街でお店を開いていたブハラのおばあさん。 |
カラーン・モスク |
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ホジャ・ヌラバード通りからのカラーン・モスクの青いドームの風景。 |
ティム・アブドラ・カーン・トレーディング・ドーム |
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タキの前まで来ました。
写真をクリックして下さい。 |
ティム・アブドラ・カーン・トレーディング・ドーム |
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ティム・アブドラ・カーン・トレーディング・ドームの風景。 |
ウルグベク・メドレッセ |
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タキの直ぐ東に2つのメドレッセが向かい合わせに建つ。 |
ウルグベク・メドレッセ |
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15世紀に建てられたウルグベク・メドレッセの中庭はお土産屋になっていて、絨毯やタペストリー、刺繍細工などを置いていた。
写真をクリックして下さい。 |
ウルグベク・メドレッセ |
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ウルグベク・メドレッセの対面、南側に建つアブドゥールアジス・ハーン・メドレッセの入り口に腰かけて休んでいたブハラのじい様。
写真をクリックして下さい。 |
タキ・ザルガロン |
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このドーム状の建物は、カラーン・モスク前からも見えたが、タキと呼ばれる丸屋根の市場の建物で、一般にはタキ・バザールと呼ばれる。
写真をクリックして下さい。 |
アブドゥールアジス・ハーン・メドレッセ |
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ウルグベク・メドレッセの直ぐ南に建つアブドゥールアジス・ハーン・メドレッセ。 |
アブドゥールアジス・ハーン・メドレッセ |
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アブドゥールアジス・ハーン・メドレッセの中庭はバザーの様になっていて、色々なお土産を売っていた。
写真をクリックして下さい。 |
アブドゥールアジス・ハーン・メドレッセ |
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メドレッセとはイスラムの神学校の事で、多くはイスラム教の礼拝堂モスクに併設されており、イスラム教複合施設となる場合が多い。 |
アブドゥールアジス・ハーン・メドレッセ |
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建てられたのは17世紀の中頃で、北にあるウルグベク・メドレッセより230年ほど後の建造物。
写真をクリックして下さい。 |
アブドゥールアジス・ハーン・メドレッセ |
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何故かは判らないが、べそをかいていたブハラの男の子。 |
タキ・テルズ・フュージョン |
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タキ・ザルガロンから南へ、ハキカット通りを進む。 |
ハキカット通り |
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ハキカット通りは両側にお土産屋が並ぶ、賑やかな通り。 |
タキ・テルズ・フュージョン |
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タキ・テルズ・フュージョンの中を散策。
写真をクリックして下さい。 |
タキ・テルズ・フュージョン |
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タキ・テルズ・フュージョンの南側出口。
写真をクリックして下さい。 |
マゴキ・アッタリ・モスク |
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タキ・テルズ・フュージョンから南東へ直ぐ、100mほどの所、ムフタール・アンバー通りにあったマゴキ・アッタリ・モスク。 |
タキ・サラフォン |
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マゴキ・アッタリ・モスクの東側から南へ100mほど行くと、バコウディン・ナクシュバンディ通りに出る。 |
タキ・サラフォン |
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タキ・サラフォンの中を通り抜けて南側へ。
写真をクリックして下さい。 |
ラビハウズ |
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タキ・サラフォンからバコウディン・ナクシュバンディ通りを150mほど東へ行く。 |
ラビハウズ |
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ラビハウズの池のほとりで、お茶を飲みながらマッタリと過ごすブハラのじい様たち。
写真をクリックして下さい。 |
ラビハウズ |
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ラビハウズの池の周囲には神学校、メドレッセや寄宿舎、ハナカが建ち、ラビハウズ・イスラム教複合施設を構成している。 |
ナディール・ディヴァンベギ・ハナカ |
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建てたのはブハラ・ハン国の大臣ナディール・ディヴァンベギで、ラビハウズの池も彼が造った。 |
ナディール・ディヴァンベギ・ハナカ |
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ナディール・ディヴァンベギ・ハナカの中へ。
写真をクリックして下さい。 |
クカリダシュ・メドレッセ |
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こちらはラビハウズの池の北東に建つクカリダシュ・メドレッセ。
写真をクリックして下さい。 |
ラビハウズ |
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クカリダシュ・メドレッセの南東に建つナディール・ディヴァンベギ・メドレッセ。
写真をクリックして下さい。 |
民族舞踊 |
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さて、ブハラでの最後の観光は、ブハラ地方の伝統の踊りを鑑賞します。
写真をクリックして下さい。 |
民族舞踊 |
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城塞の意味を持つアルク、現在のアルク城の基礎は、古代に建てられた城塞の上に造られた。
写真をクリックして下さい。 |
民族舞踊 |
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古代シルクロードの中継都市として古代ブハラは栄えて行く。
写真をクリックして下さい。 |
民族舞踊 |
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踊りのBGMは民族楽器を演奏し歌う、男性陣による生演奏。
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民族舞踊 |
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11世紀、サーマーン朝はカラハン朝により倒され、ブハラは首都から外れる。
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民族舞踊 |
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第一次大戦後、ロシア革命に刺激を受けた労働者の赤軍が蜂起し、ブハラで革命が成功。ブハラ・ハン国は滅亡し、ブハラ人民ソビエト共和国が誕生する。ブハラ人民ソビエト共和国も、直ぐにウズベク・ソビエト社会主義共和国に吸収され、ソビエト連邦の1つとなる。
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キジルクム砂漠 |
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ブハラの観光はおしまい。 |